春の祈り
節分
春、いのちが芽生える季節の中で 2月3日
豆まき行事で撒かれる豆には古くから穀物の穀霊が宿り、生命の源の象徴の一つと考えられてきました。鬼に豆を撒くことで邪気を追い払います。節分には厄災を祓うために「鬼は外、福は内」のかけ声もと豆をまき鬼を追いやり、鰯の頭を刺した柊の枝を門口に差し立てます。
節分はもともと立春、立夏、立秋、立冬の節目を指し、年4回ありましたが、旧暦では正月元旦から7日間に当たることが多く、立春正月と呼ばれ季節の上で1年の始まりと考えたことから立春の前日に当たる「節分」は特別な意味を持つようになり、豆まき行事や追儺(鬼やらい)行事が行なわれるようになりました。
節分のマメ知識
春の訪れは草、木、獣などあらゆる生命の命の芽生えを迎える時期にあたります。豆まきのあとで福豆を年齢より一つ多く食べます。これは、満年齢ではなく数え年の分を食べて1年の無病息災を願います。節分行事には冬籠もりの暗い気分を一掃しその上で新しい春を迎えようとする祖先の知恵と祈りが表れたものともいえます。
上巳の節句
ひなまつり・桃の節句 3月3日
3月初めの巳(み)の日を上巳(じょうし)といい現在では雛人形を飾り、桃の花やよもぎ餅をお供えして女の子の成長をお祝いする「雛祭り」の行事です。
古来日本では、人の形に紙を切り抜いた"ひとがた"で体をなでてけがれを落とし、海や川に流す祓(はらえ)の行事でした。その"ひとがた"が次第に華やかになり、現在のひな人形となりました。女の子の節句としてひな人形を飾り、桃の花や菱餅を飾るようになったのは江戸時代になってからで「桃の節句」とも呼ばれます。
ひなまつりのマメ知識
ひな人形は節分の翌日に飾りつけると良いとされ、逆に前日に飾ることは「一夜飾り」といって縁起が悪いとされています。またこの日には白酒やハマグリのお吸い物を頂きます。
春分の日
3月21日頃
3月21日頃は太陽が真東から登り真西に沈み、昼夜の長さが同じになります。
この日を「春分の日」といい、これを中日とした7日間を「彼岸」として家々では祖先の御霊をお祭りし、お墓参りをします。宮中では、歴代天皇の御霊を祀る行事、春季皇霊祭が行われています。
春分の日のマメ知識
お彼岸になると、春には「ぼたもち」、秋には「おはぎ」をお供えしますが、これは呼び名が違うだけで実際には同じものです。春の花「牡丹」、秋の花は「萩」と季節の花に例えて呼び名が分かれています。
お花見~山遊び・野遊び
桜の木の下で、日本人の桜への深い親しみ。
桜の木の下でお重やお弁当を広げ、お酒を飲んで宴会をする行事には日本人の桜への深い親しみが込められています。
お花見はかつて「山遊び」・「野遊び」と呼ばれ、冬籠もりの暗い気持ちから抜けだしいよいよ春を迎え野外に出かけて飲食をしたことが起源といわれています。また桜は古くから日本の山野に自生をしている植物で、日本では花といえば桜と言われるように大変親しまれてきました。それは桜が「稲の神さまの宿る木」とされ生命の源の象徴の一つと考えられているからです。
お花見のマメ知識
サクラの「サ」は稲の霊を意味して、他にも苗を植える月を皐月(サツキ)、苗のことを早苗(サナエ)といい、稲にまつわる言葉がほとんどです。古来、人々は稲の魂が宿った桜の木にお供えをして田の神さまにその年の豊作を祈りました。
端午の節句
子供まつり
「桃の節句」が女の子の節句であることに対して「端午の節句」は男の子の節句として広く知られています。
「端午」とは月初めの午の日を指しましたが、5月5日を「端午の節句」と呼ぶようになりました。お供えする菖蒲やヨモギやチマキは邪気を祓うといわれ、菖蒲を家の軒先に差し、お風呂に入れて魔除けとする祓(はらえ)の行事でした。又、菖蒲をと尚武(しょうぶ)とをかけて、鯉のぼり、鎧、甲冑、武者人形を飾り次第に男の子の立身出世を願う行事になりました。
5月(皐月)は春から夏への季節の変わり目にあたり、疲れが表れ病気になりやすい頃です。また、田植えは一番多忙な時期に当たります。これらにそなえて邪気を祓い十分な鋭気を養っておく必要がありました。「端午の節句」にはそんな時期を乗り切る祖先の知恵が盛り込まれているのです。
端午の節句のマメ知識
カシワの葉は新芽が育つまでは古い葉が落ちないことから「子孫繁栄(家系が途切れない)」という縁起をかついだものとされています。端午の節句に柏餅を食べるという文化は、江戸でうまれました。